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とりあえず、出張中のパリから見たこと、感じたことを発信中!!
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さて、昨日のエントリでも少し紹介しましたが、先週の金曜日は、俺と同時に渡航した同僚たちが帰国したので、“打ち上げ第1弾”を行いました。
いつもよりも早めの7時に仕事を切り上げて、パリ市内に突撃しました。



しかし、いくら週末とは言え、パリジャン、パリジェンヌのアフター5は楽しそうですなぁ。



写真の広場の隣りにあるのがこの教会。しかし、パリにはこの教会の他にも“観光客的に無名な”教会が多いです。で、この教会の隣りにあるのが“観光客用”の24時間営業の豚足(だけでないけど)の店です。



店の中にある置物もブヒブヒ。メニューも世界の観光客向けに仏、英、西、日、露語の5カ国語があるぜ、ブヒブヒ。隣りの客も日本人だったぜ、ブヒブヒ。



俺が頼んだのが、この店の看板メニューの一つらしい豚足、豚耳、豚尾の盛り合わせ。



しかし、写真では美味そうだけど、実際にはしょっぱすぎ、しかも20ユーロ。俺はNGでした。(でも、隣り日本人も同じ物を食べていたので、大っぴらに文句も言えなかったぜ。ブヒブヒ)

で、折角のフランスのラストディナーの隣が日本人で、若干、テンションが下がり気味の同僚を気遣い、その後も夜のパリを散歩することに。
しかし、パリの中心地は1年ぶりですが、やっぱり、美しいですなぁ。写真を撮りまくったのですが、安物デジカメだと夜景はブレブレになってしまって殆ど紹介できません。。。



これは珍しく良く撮れていた写真。フランスに限らずにオランダとかドイツでも、ヨーロッパの都市部では新車が多いんだよねぇ。ルパンも乗っていたこの2cvはフランスでは初めて見た。
で、ブラブラと歩いていたら、セーヌ川のポン・ヌフ橋にたどり着くと、みんな楽しそうにナイトクルージングを楽しんでいるではないか!!



「これは、俺たちも乗るしかないジャン!!」

と言うことで、塩辛い豚足を食べなければ、食事に満足してセーヌ川にも行かずに、ナイトクルージングを楽しむこともできることもできなかったので、あの豚足屋に行ったことは、結果的には正解だったぜ。

まあ、あの豚足屋は殆どのガイドブックにも載っている有名店なんで、皆様もパリに来たときは、一度は騙されてみないといけないかもね。ブヒブヒ。(笑い)
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先週の金曜日の話。

同僚の第一陣が帰国しするので、「第一次打ち上げ」をしました。
で、その後、暗くなるまでパリ市内にいたので、念願のナイトクルージングへ。



俺の安物デジカメで移動中のボート上からだと、ボケピンな芸術写真しか撮れませんでしたが、それは夜のパリは美しかった。

ちなみに、夜の8:00以降のラ・デフェンスは店は殆ど閉店してるので、楽しくありませんが、夜のパリ市内は楽しかった。
昨日はビール飲みながら下書きしたエントリだったので、読みづらい文章で申し訳ありませんでした。

なので、今日は小ネタ。



上の写真はベルサイユからの帰りの電車からの風景。
こうしてみると、ラ・デフェンスのビル群って、結構、凄いですね。
やっぱり、近くにいると見えにくいことってありますな。

とうことで、俺の中でラ・デフェンス再評価。

で、再評価したからって訳ではないのですが、ラ・デフェンスのショッピングモール内の美容院で散髪をしました。



去年も髪の毛切ったんだけど、今回の美容師さんは、去年のお姉さんよりも、より、キュートなパリジェンヌで、優しくチョキチョキしてくれたので、とっても幸せな気分になりました。ムフッ。
ランボーやロッキーはフラフラのソビエト連邦にとどめを刺すために必死で戦っていたけど、そろそろアメリカの敵は東欧諸国から、麻薬の供給地である中南米に移りつつあった80年代後半、テレビで活躍していたのが、ソニー・クロケットとリカルド・タブスの二人でした。
そう、まだ高校生で単位を取得するためには、後何回授業をさぼれるかを必死に計算していた俺は、テレビ東京で放送されていてた『マイアミ・バイス』の放送があった木曜日を毎週心待ちにしていたのでした。

それから数年後。当時、自分が接したあらゆることに対して、批評家として接していた俺は、 自分が「何事も成し遂げない(どころから何事も始めていない)」ことに愕然として、一つの行動に出ることにしたのです。

それが南米への旅でした。

当時、23歳だった俺の大切な友人が頑張っていたバンドのライブ(の打ち上げ)でよく一緒になっていた、『旅の達人』がボランティアとして南米のパラグアイという国に赴任することになったのです。
元々、子供の頃からラテンアメリカに興味があったら俺は、「この機会を逃してはならない」と本能的に感じ、とりあえず、大したプランも立てずにその友人と南米に旅立ったのです。

今ではどうだか分かりませんが、当時、日本からパラグアイまでの一番安いフライトチケットが、成田→ダラス→マイアミ→サンパウロ→アスンシオン(パラグアイの首都)でした。もちろん、乗り換えが必要なので途中の”マイアミ”で一泊。

今では「パリも去年90日もいたから緊張感ないんだよねぇ~」なんて、贅沢カマしている俺ですが、当時は初めての海外旅行。成田でフライトが遅れたと言えばビビり。乗る飛行機がジャンボより小さいと言ってはビビり。アメリカ入国でイヤな思いをしたと言えばむかつきながらも、ビビり。とにかく、何一つとっても初体験でなにもかにも新鮮でした。

マイアミでも空港からホテルに行く間のハイウェイで「あ~~、ここはマイアミ・バイスでみた風景だ!!」なんて、妙にはしゃいだりして。(我ながら初々しい!!)。

そして、パラグアイに到着後、夏期休暇中の『旅の(達人)師匠』と友人と三人で、パラグアイ→ブラジルへとバス旅行に出発したのです。




さて、パリのラ・デフェンスで見た『マイアミ・バイス』。
前に見た『スーパー・マン』とは違い、字幕がないと細かいストーリーは理解できません。ただ、言いたいことはいろいろある。

「ソニーがモテモテなのは『マイアミ・バイス』の仕様だけど、ドン・ジョンソンと違って、コリン・ファレルじゃ説得力ねぇよ!!」
「タブス役のジェイミー・フォックスには不満は無いけど、タブスとトルゥディーがなんで。。。」
「え~~。この色気のない戦闘女がジーナなのかよ!!」
「スワイテクがマッチョになってる。(笑)」
「ってことは、このデブチンがカステロ主任?」
「コン・リー美しいけど、泣き顔過ぎ」
「(フィル・コリンズは好きじゃないけど)このIn The Air Tonightをカバーした奴は殺す!!」

まあ、テレビ版の『マイアミ・バイス』が映画っぽいテレビドラマだったから、映画版の『マイアミ・バイス』がテレビドラマっぽい映画になってしまうのはしかたがないかな?と思います。でも、このエントリで言いたいことは、この作品の出来ではありません。


パラグアイからブラジルへとバス旅行を始めた我々が、最初に着いた街がパラグアイ、ブラジルの国境の街である「シウダー・デル・エステ」です。この町は「東の街」と言う意味の名前で、元来はパラグアイを長年に渡って支配していた独裁者の名前が付いていた街です。
ここは有名な"イグアスの滝”の近くで、ブラジルだけでなくアルゼンチンとの国境とも近い街です。元々、農業以外の産業が乏しいパラグアイは、工業製品などに関税が設けておらず、このシウダー・デル・エステは一種の免税店市場と化しており、ブラジル、アルゼンチンからの買い物客でにぎわっています。
そんな街の性格上、南米で「最も現金が動く街」とも言われいます。そして、現金が動く街には当然、ダークサイドもある。

当時の俺は、そんな影の部分をかいま見て、「うぉ~。この店のガードマンの腰の拳銃見た?なんてバカでかいんだ!!」とか「さっき、市塲のガードマンが渡哲也みたいなショットガン持っていたよ」、なんてはしゃいだものです。
また、このエステから歩いて国境の橋を渡り、ブラジル側のフォス・ド・イグアスで自分自身で入国手続きを行い、怪しげな役人に「お前、金を沢山持っているんだろ」とニヤニヤしながら腹巻きの中の現金をさすられたりして、「うおぉ。南米は怖いぜ」なんて興奮したものです。
(ちなみに、南米諸国の名誉のために言っておきますが、役人のみんながみんなこんなインチキ野郎どもじゃないよ)。

つまり俺はこの町で本格的な旅の興奮を覚えたと言っても良いです。そして、それはそれが『旅の女神様』との出会いでもあったのです。
(その後、色々な経由で、俺はブラジル旅行後、3年間ほどパラグアイに残って仕事をすることになるのですが、それはまた別の話です)。




そして、『マイアミ・バイス』をラ・デフェンスの映画館で見ていたら。。。
今回のソニーとタブスの宿敵となる一人、ヘスス・モントーヤなる人物の本拠地が、コロンビアあたりだと思っていたら、なんと、パラグアイのシウダー・デル・エステとブラジルのフォス・ド・イグアスだったのです。
スクリーン中であの雑踏が映し出されていると、初めて感じた、旅の濃厚な興奮が蘇ってきました。
『旅の女神様』への忠誠を再び誓い、改めて、自分と旅の関係を見つめ直そうとしている今のこの時期に、目の前にエステやフォスの風景が現れるとは!!

「これは、女神様が何かメッセージを下さってるに違いない!!」


このエントリを読んでいる皆さんは「また、Yushiのこじつけが始まった」とお思いでしょう。まあ、自分でも半分はそう思う。(笑い)
でも、最初に言ったように、『旅の女神様』のご寵愛を受けるためには、この思いこみは重要な資質でもあるのだよ。そして、その資質に恵まれた俺は、これってやっぱり、何かしらの意味があると思うんだよねぇ。そして、それが「初心をわすれるな」ってことだとは分かるんだけど。。。

その肝心な初心が今となっては何を指すのかが特定できなかったりする。(苦笑)

いずれにせよ、ベルサイユを早めに切り上げて、『マイアミ・バイス』を見たことは正解であったとは思います。
とりあえず、残りの3週間、この『女神様』からの問いかけを深く、考えてみたいと思います。
さて、『旅の女神様』にさらなる忠誠を誓った俺は、体調も回復した先週末に、早起きしてベルサイユ宮殿に向かったのでした。
旅の出発点は、いつものようにラ・デフェンスから。




郊外に向かう列車には、RERというのとSNCFというのが2種類ありまして、ラ・デフェンスから乗れるのはSNCFの方です。(元フランス国鉄みたいだから、日本だとJRの中央線とか総武線みたいな通勤電車に相当するんだと思います)。
で、ラ・デフェンスからベルサイユまでは、なんとたったの20分。運賃もたったの2ユーロ。
こんなに近かったとは。。。




この駅から、宮殿までは徒歩20分。SNCFや駅から宮殿までの間にはほとんど観光客を見なかったから、安心していたんだけど、ハイシーズンの週末。そんなに甘くはありませんでした。。。
(みんな、観光バスでまとまって来てやがった!!)。
昔、俺が暮らしていたパラグアイという国の国会議事堂が「ベルサイユ宮殿を模して建築したもの」って聞いた覚えがあったので、そのような建物を探してみたのですが、そんな建物はどこにも見あたらず、その何倍も立派な建物が!!(苦笑)




しかも、宮殿内に入るチケット売り場を探してるうちに、裏手の大庭園の入り口に辿り着いてしまった俺、天気も良くうちに先に庭園を散策することにしました。



いや~、噂には聞いていたけど、広かったねぇ~。
この大庭園は、中央の目抜き通りの脇の緑の中を、小径が沢山通っています。何か、ロールプレーイングゲームのダンジョンみたいでした。もっとも、こういう建築文化の中からあのような発想も生まれてきたんでしょうけどね。



で、所々に、逢い引きスポットが点在。(笑い)
本当に昔の貴族たちは、闇に紛れて色々なスポットで逢い引きしていたんでしょうな。





「こりゃ、確かにロマンチックですな。」

なんて、思いながら散策してると、今度は優雅なクラッシック音楽が鳴りだして、噴水たちも大騒ぎ。



↑が↓



「べただなぁ~」なんて思ってしまいましたが、考えてみたら、この場所だけはどんなべたな演出も許される場所だよね。なんたって、“このような世界観”の聖地だもんな。

と勝手なことを思いつつ、天気が崩れだしたので、宮殿内を見学することにすると。。。



「あれ、みんなチケットを手に持ってる。じゃあ、別な場所でチケットを買わなければならいの?」



「が~~~~~~~~ん」

並ぶことが苦手な俺は、この大行列を見ただけで、やる気がナッシング。。。
まだ12時半でしたが、あの行列のお尻に並んだところで、何時に宮殿内に入れるか分かったもんじゃありません!!
まあ、ここに来るのは簡単なことも判明したので、「ラ・デフェンスに戻って映画でも見るか」と、とっとと退散したのでした。

と言うことで、宮殿内はそのうちに改めてリポートします。

お終い。

P.S.
そして、この時はラ・デフェンスで『女神』様のメッセージを受け取ることになるとは夢にも思っていなかった俺でした。
プロフィール
HN:
Yushi
性別:
男性
自己紹介:
本名を晒すのはやめました。
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